墓参りツアーレポート(2) 霧
(さいら)
10月7日。
日付が変わって空港に着き、1時間ほどで手続きを済ませると空港でガイドさん
たちとおちあい、一路バスで邯鄲へ。しかし、準備段階からいろいろあったこの旅、
そう簡単に長恭サマに合わせてはくれないらしい。
北京市街を抜けると、辺り一面が霧。中国で濃い霧とは聞いたこともなく、不安
がよぎる。それでもバスは進んでも進んでも晴れない霧の中、高速道路を南下した。
夜中の3時ごろだったろうか、ついに霧のために高速道路が閉鎖。仕方なく下へ降
りて、それでも夜通しバスは自転車並みの速度ながらも走ってくれていた。
準備段階までと違って、不思議と焦らなかった。この霧のために恐らくこの後の
日程はかなり押すだろうことが容易に想像できた。けれど、霧は日本の地震の影響
かなとか、飛行機の時間が変わって寝台列車からマイクロバスのチャーターに変わっ
たけれど、この霧ではかえってよかったかもとか、前向きに考えていた。
明け方目を覚ますと、バスは迷っていたようだった。石家荘市近くで西の行唐県
に迷い込んでいたようだ。道を戻り、石家荘市の目前の正定県に入った9:30す
ぎ、霧はようやく晴れだした。
石家荘市にたどり着き、市内のスーパーでトイレ休憩とガイドさんが買ってくれ
た温かいハムエッグサンドを食べた。ハムに味がついているため、ケチャップもソー
スもかかっていなくてもおいしかった。そしてバスは、邯鄲まで残り3分の1の道
のりを走り出した。
走れば走るほど晴れてくる霧。それと同時に見えてくる辺りの風景。市街を抜け
て既に畑の中だったが、異国という感じはまるでなかった。それより感じたのはデ
ジャヴというか、ノスタルジーというか。家がレンガ造りであることを除けば、広
がる光景は幼いころの私の田舎の風景によく似ていた。私の田舎は日本では数少な
い内陸県。足らないのは、背後の山並みだけ。幹線道路だけがアスファルトで、あ
とは舗装されていない道。
後で他の参加者にまったくカルチャーショックを受けていないと指摘されたけど、
その時そう答えたのだった。
13:30、邯鄲賓館着。ここで現地ガイドさんと合流。ホテルにチェックイン
すると、ホテルの隣のレストランで14:40ごろまで昼食。中国の中華料理はま
ずいときいていたけれどそんなことはなく、おいしかった。しかしさいらは旅の前
に胃腸を痛めたため食欲がほとんどなく、おいしいと感じらても量が入らない。ふ
だんの私であればもっと食べられるのにと旅の間、何度思ったことか。
北京からのガイドさんはここで次の観光先に向かわず、ホテルで帰りの飛行機の
チケットの手配と連絡などのために残ることに。夜通しナビと旅行代理店との連絡
に明け暮れていたガイドさん、爆睡してくださいねと思ったものです。驚いたこと
に、運転手さんは変わらなかった。お仕事とはいえ、大丈夫なの?
すでに時間が時間であったため、この日の観光地は絞られてしまっていた。でき
れば先にメインの蘭陵王墓を見たいとガイドさんに相談したところ、とある理由で
それはなし。今日1番に観光する予定だった北響堂山石窟に向かった。
16:30ごろ到着。600段(だっけ?)ほどの石段は、長いバス乗車で疲れ
た私たちにはきつかった……。途中、ガイドさんの知り合いが案内する外国人観光
客に「さよなら」と声をかけられたりして、ようやっと到着。でも登った甲斐があっ
た。美しかった。
着いて10分ぐらいは息が切れて、ガイドさんの説明を黙って聞きながらラフス
ケッチをするのがやっとだったけど、呼吸が戻ると活動開始。隋仏洞、明洞、大仏
洞(北洞)、関羽洞、経刻洞の順で見学しました。文物保護のためかライトアップ
されておらず、写真撮影も禁止。他の人が持ってきたペンライトがなかったら見え
ないところだった。(それでも禁止されるまで、一部は撮ったりする(^^;;)
北斉の頃の仏像は肉感的な表現のものが多く、私の好きな白鳳時代の仏像を思わ
せるところがあります。残念なのはかなりの仏像が顔を剥ぎ取られていること。後
光や装飾の小さな仏すらことごとく剥ぎ取られ、欧米諸国に密売されているらしい。
どうせなら完全な形で剥ぎ取れ!と思わず言いたくなってしまうくらいだ。
もっとゆっくり見たかったが、時間切れで響堂山を降りる。行きと違って足取り
は軽かった。
ホテルに戻り、夕食は自力でとるため、ホテルの周囲をうろつき、近くのファー
ストフードで済ませた。ファーストフードといってもハンバーガーとかではなく、
できあいの料理を指定して、皿に盛ってくれるタイプ。この辺りとしては高いお店
ではないかと思うのだけれど、おいしかった。ここで先に食事をしていたらしい現
地ガイドさんと出くわしたりというハプニングも。
ところで私たちは、実はこの時点で自分のお金を一切両替できていなかった。北
京からのガイドさんがご好意で1人200元ずつ貸してくれて、それで邯鄲は何と
か乗り切らなくてはならなかったのだ。しかし1品が高くても10元のこのお店で
は6人に100元札を出されても困ってしまうだろうと、支払いはまとめて払うこ
とにした。
その辺りのやりとりで私たちが日本人だとわかり、参加者の一人によると、お店
の人たちが「日本人なんだからもっと話かけなさいよ」と話すのが聞こえたそうな。
ガイドさんによると邯鄲というかギョウ城や蘭陵王墓を訪れる日本人はわりといる
ということだった。にもかかわらず、ホテルからとても近いこの食堂で日本人が来
ることが珍しいということは、今まで来ていた人たちは、邯鄲では食事付きでいた
んだろうな。
風呂から上がって、明日の蘭陵王墓の観光に向けて、予習と自分のHPの内容を
思い出しをはじめた。
2000.10.12
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