五言王第五弟太尉公安徳王経墓興感云云

夜臺長自寂  泉門無復明

独有魚山樹  鬱鬱向西傾

覩物令人感  目極使魂驚

望碑遥墮涙  軾墓轉傷情

軒丘終見毀  千秋空建名



墓はつねにひっそりとしている

あの世への門は、もはや開くことはない

ひとり魚山の樹に立って

欝々とした気持ちで向かい、西に心を寄せる

墓を見ていると、人の気配が感じられた

それに目を凝らしたが、心を驚かされただけだった

遠くに碑を望み見るだけで、涙が堕ちてくる

墓にもうでると(別れを告げると)ますます心が痛む

高い丘(長恭の墓)は、いつかは土に還ってしまう

長い年月は、うち立てた功名を無に帰してしまう


※住谷孝之さまより、上記の訳についてご指摘いただしました。
  本来なら指摘をもとにして訳しなおすべきですが、時間がなく、かといって放置するのもアレなので、許可を戴いて転載させていただきます。住谷さま、ありがとうございます。

以下、投稿より引用です。
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文学研究の立場から「高粛墓」の詩の訳と解説について注文をつけさせてもらいます。
細かいところは全体的にあるのですが、特に、第二聯の「独有魚山樹 、鬱鬱向西傾 」と第三聯の「覩物令人感、目極使魂驚 」は明らかな誤訳です。

第二聯は「独り魚山の樹有り、鬱鬱として西に向かいて傾く」となり「〔墓のそばには〕ただ魚山の樹だけがあり、鬱蒼と繁って西に枝を伸ばしている」というような意味になります。

第三聯は「物を覩れば人をして感ぜしめ、目 極まれば魂をして驚かせしむ」で、「〔墓の周りで〕目にするあらゆる物が人の心を痛ましく思わせ、視線の届く果てまで見える物すべてが魂を不安にさせる」というような意味になるはずです(とっさのぎこちない訳ですみません)。

この中でも第二聯を誤訳されているのと、この聯の「魚山」の語を解説に言及されないのは問題です。なぜ「魚山の樹」がなぜ「西に向かって傾く」のかを理解していないと、この詩の言わんとする重要な要素が完全に見落とされてしまいます。それぐらいこの聯は重要な意味を持っています。「魚山」といえば即「あの人」です。この詩を見たとき、長恭を「あの人」になぞらえるというのは、少々意外に思いました。ですが、どちらも傑出した才能を持ち、しかも悲劇の王族という点では共通するといえます。さらにさいらさんの記述によると、長恭は学問に興味を持ち、文人を保護していたということでしたので、このように詠われるのももっともかと納得しました。

「魚山」と聞いて真っ先に連想されるのは「この人」です。「西に向かって傾く」というのも、下のページをご覧になればおわかりいただけると思います。
http://www.houzenin.jp/takuhon/takuhon_20.html

以上、長々と失礼いたしました。ご参考までにお納めくだされば幸甚です。
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