詩の意味はだいたいこんな感じです。意味がまちがっていたら、どんどんご指摘下さい。
この詩をはじめて見たのは、某中国書籍専門店でした。立ち読み(^^;;)だったので、細かい意味まではわからなかったのですが、長恭サマを慕い、その死を嘆いているのがひしひしと伝わってきて、とても衝撃的だったのを覚えています。
それから数年して、蘭陵王の墓の写真が掲載された記事を手に入れることができました。それは、もとの写真が良くないのか、碑自体のコンディションがよくないのか、よみづらい箇所がいくつもありました。それで結局、はじめに見た、この詩が掲載されていた本を買ってしまいました。(はじめに見たときより、少々安価になっていたもので)
記事の写真の詩は楷書で、かなりクセの強い、けれど力強い字でした。私はこれは延宗の自筆だと、勝手に思っていたりします。
詩の内容がわかってくるにつれて、その内容のリアルさに、改めて感動しました。この詩が刻まれたのは武平6年です。この武平6年の秋、北周が北斉を滅亡させんがため、攻め入ってきますが、いくつかの州を奪っただけで撤収しました。この詩がその戦いの前と後、どちらに詠まれたのかわかりませんが、次々と国の重鎮を失い、国力が衰えていくわかっていたであろう延宗にとって、北斉の滅亡は時間の問題だったでしょう。そんな時に詠まれたこの詩からは、かつて北周の侵攻を防いだ亡き兄の力を借りたい、長恭サマが甦ってきてほしいという切実な思いが伝わってきます。この時代のこの時の状況がすごく感じられる詩です。形式としても、韻をふみ、対句もある、ちゃんと整ったものですこの詩は蘭陵王碑の陰額に刻まれています。
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