◆ 斛律光 ◆ 段韶 ◆ 尉相願 ◆ もっと増えるでしょう(^^;;

 高長恭の周囲を取り巻く人々3 勲貴 

2.段韶(だん しょう)

北斉の武将。
字は孝先。幼名を鐵伐という。
生年は不明だが、おそらく北魏の永平年間(508〜511)の生まれ
父は高歡の臣・段栄、母は婁氏(婁后の姉)
妹(たぶん庶妹)が文宣帝の昭儀(側室)になり、長子、次子、嫡孫が公主を娶っていて、北斉宗室と外戚関係にある。

 騎射が上手く、若い頃から高歡にかわいがられ、常にそのそばにあった。
 二十歳頃から戦に出て数々の功績を挙げていく。542年に西魏の宇文泰と高歡が芒山で戦ったとき、高歡の命が危ういところを救っている。
 また、有名な玉壁の戦いの時、戦いが長びき、高歡に不利になりつつあった。斛律金(斛律光の父)、韓軌、劉豊などの諸将は、もしもの時のためにと首都の鄴に段韶を遣り、高洋のもとで鄴を鎮めた。
 侯景の乱の時は晋陽を守るなど数々の功を挙げ、554年、梁将陳覇先が攻めてきて水上戦になるが、段韶はこれを追い払い、平原郡王に封ぜられる。おそらくこれが、段韶の最高の戦功といえるだろう。
 その後、高帰彦の乱を婁叡とともに平らげ、翌々年のはじめ、突厥と北周が晋陽を攻めてくるとこれを撃った。その年の末、北周軍に包囲された洛陽をなかなか救出できずにいた斛律光と蘭陵王長恭のもとへ駆けつけ、彼らとともに芒山で北周軍を撃ち破り、洛陽を救った。
 571年、国境の定陽郡周辺をめぐっての北周との攻防戦では、病をおして出陣し、定陽城を落とすが、それ以上幕中に留まることができず、鄴に帰り、その年の九月に亡くなる。享年は、おそらく還暦を越えていたと思われる。

* *

 私はこの段韶が大好きです。同人誌で描いたマンガの中では進行役にしてしまったけど、ああいうお説教好きそうだし。わりとおしゃべりというか、能弁な人だったらしく、伝の中でも行動部分より会話のほうが目立ちます。武成帝との会話のシーンと、北周軍を挑発しているシーンの台詞は、全て伝から採っているくらいです。言いまわしも、下手ながら原文のかっこよさを損なわないように気を遣っていますが、どうでしょう?
 段韶は長恭を気に入っていたのか、芒山の戦いからよく長恭を使っています。それも副将的な立場というか、自分や斛律光の後を任せるつもりでいたように感じられます。長恭もまた段韶の戦い方を学び、北斉の要となるつもりでいたでしょう。もしかすると、まだ少年時代の長恭に、武才を見いだしたのは段韶だったかもしれません。
 段韶は計略に長け、上に信頼され、下に慕われ、上品で、宰相の威風があったといいます。女色を好むところがあり、よくお忍びで歩いていたという面もありまして、伝の中の報償の内容を見てみると、女楽や美しい未亡人を賜っていたりします。
 北斉後期の随一の名将の名は、悲劇的な最期を遂げただけに斛律光に行きがちですが、私は、実力や知略からいっても、ぜったい段韶のほうを推します。

 



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