◆ 斛律光 ◆ 段韶 ◆ 尉相願 ◆ もっと増えるでしょう(^^;;

 高長恭の周囲を取り巻く人々3 勲貴 

3.尉相願(い そうがん)

北斉の武将
蘭陵王長恭の属将または任城王湝の腹心
生没年不詳(北斉滅亡時(577)までは生きていた)
 父は尉摽。代(山西省大同市付近)の出身で、高歡の幕僚。武成帝の時、海昌王に封じられている。相願の兄・相貴がその爵位を嗣いでおり、北斉滅亡時に晋州を守っていたが、部下の裏切りにより捕われ、長安に送られて亡くなっている。

 長恭の属将として定陽の戦いに参加。長恭の苦しい胸中を打ち明けられ、隠退を勧めている。
 その後、領軍大将軍となり、平陽から并州、鄴と転戦する。北斉滅亡時、恩倖の一人・高阿那肱の暗殺と、後主の廃位と廣寧王孝珩の柵立を企てるが、失敗。任城王湝・廣寧王孝珩と共に冀州で最後まで抵抗するが、突如として、出陣を偽ってそのまま北周に投降。怒った任城王は、残っていた相願の妻子を殺す。その後すぐ冀州も落ちるが、相願のその後については、史書には記されていない。


 相願については、父・兄ともに生年がわかっていないので、年齢の想定ができませんでした。同人誌に描いたマンガでは、勝手に長恭と同い年くらいと決めて描いています(父親が高歡と同世代だったら、相願は長恭の父・高澄と同世代かもしれませんが)。マンガといえば、マンガのほうでは相願は芒山の戦いから出ばってますが、史書に出てくるのは前述のとおり、定陽の戦いと、北斉滅亡の時だけなんですね。
 勲貴の子息ですが長子ではないので、ぷらぷらしていたところ、「文芸清識の士」を求めていた長恭の家臣になったのでは、と思っています。幕下では長恭を諫めたり胸中を明かされて進退の術を訊かれたりと、とても信頼が篤かったようです。さらにマンガでは江淮の寇擾あたりまで長恭の幕下のように描いていますが、これはさてどうだったか? 定陽で、失意の長恭を見限った可能性も考えられますし。おそらく長恭の死後に孝珩の幕下となり、孝珩が任城王と冀州に立て籠るのに同行して、任城王の信頼を得たんじゃないかと思っています。

 長恭の貪殘を諫めたり、恩倖を殺そうとしたりしてるのを見ると、曲がったことが嫌いなタイプみたいですね。北斉の斜陽を憂えていたうちの一人だったでしょう。
 北斉滅亡後の相願のことがまったく分からないので、私は勝手に、民間に「蘭陵王入陣曲」を広めたのは彼じゃないかと思っています。
 勝手ついでにもう一つ、江淮の寇擾の時に実際に北斉軍を率いて戦った「尉破胡」は、相願のことじゃないかと思っています。もし長恭の死ギリギリまで幕下にいたならば、代わりに出陣させられても不思議じゃないし。



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